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危険な遊具 | 運営ノート

危険な遊具

暖かい(というより暑い)ので、ちょっと外へ出たい気分。 治療の一手段として外出を勧められているので、近くの大きな公園まで行ってみる。 なんだか静か。 特別、人がいない時間帯ではないはず。 その証拠に、図書館は普段の賑わい。 この静けさは異様。 昔は賑やかだったのに。

ふと、昔遊んだ遊具に目をやると、アスレチックな遊具は部品が外され遊べない状態に。 これらはどれもアスレチックと呼ぶのにふさわしく、ちょっとした技術を要し、大人でも油断すれば怪我する遊具だったと記憶している。 しかし、それをクリアするからこその面白さがあったのではないか。 今思えば、あれはアクションゲームの実体験だったといえる。

今の公園にはそれがない。 そういえば、最近になって、危険な遊具が片っ端から撤去されているというニュースをよく見聞きする。 「問題が起こる前に」という発想は短絡的である。 根本的になにかが間違っている。 大人が子供を危険から遠ざけたとき、子供はどこで危険を学習するのか。

公園の遊具が危険と隣り合わせであることなど、子供時代の自分でもわかっていたことだし、それで怪我をしても遊具に責任転嫁する者などいなかった。 怪我をしたなら、それはそれで、一定の危険を認知し、危険を回避するための記憶と応用、危機管理能力が養われる。

ウィルスは人工的に抗体を接種することで回避できるが、危険の回避は経験と予測がすべて。 子供にはある程度の危険が必要だと考える。

現代児は「楽をしたい大人」の都合で経験不足。 弱年犯罪に見られる短絡的な行動は経験不足が主因としか思えない。 一方で、経験を奪った大人が「最近の子供は経験不足」などと勝手なことをいう。 甘ったれなのは子供よりも「最近の親」ではないか。

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